カウンセラーのメッセージ

2019年(令和元年)12月10日

近年は珍しくなくなりましたが、今年も夏から一気に冬になったように、急に冷え込んできました。皆さん、天気予報をこまめにチェックして体調管理に気を付けましょう。

さて、再来年度からの大学入試改革が揺れています。特に英語は、萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言に端を発して見直され、2023年度入試まではほぼ現状の出題形式を踏襲することが決まりました。

理由としては、親の所得や居住地域によって受験にかかる費用や受験回数に格差が生じること、実施を民間業者に任せるためテストの種類によって採点基準が異なること、また採点に学生アルバイトを使ったりするので採点の公平性が保ちにくいこと、受験生が自己採点して受験する大学を決める際に自己採点がセンター試験に比べて難しくなること、などが挙げられていました。
ただよく考えてみれば、これらのことはあらかじめ予想できたと思うのですが…。

その後、数学や国語についても、記述式の問題を公平に採点できるのか、採点基準の作成や採点者の選抜などの課題が指摘され、見直しが検討されています。

ここで、大学入試のこれまでの歴史を振り返ってみたいと思います。

戦後、1949年度から1978年度までは、国公立大学も含めて各大学が独自の問題を作成して選抜試験を行なっていました。国立大学は一期校と二期校があり、受験の機会は2度ありましたが、大学間の序列が今よりはっきりしていたように思います。
入試問題の中には重箱の隅を楊枝(ようじ)でほじくるような難問奇問も作られ、記憶力重視の詰め込み教育が批判されるようになっていきました。

そして1979年度からは、欧米の入試方法をモデルとして「大学共通第一次学力試験(共通一次試験)」が始まりました。
これは国公立大学の志願者が対象で、難問奇問を排して一定レベルの学力達成度を評価するためのものでした。この方式は1989年度まで11年間続けられました。
しかし、この試験には私立大学は参加できず、上記のような弊害(記憶力重視、難問奇問など)を完全になくすることはできませんでした。

そこで1990年度から、私立大学も利用できる形で「大学入学者選抜大学入試センター試験(センター試験)」が行なわれるようになりました。
ほとんどの国公立大学で5教科7科目が必須とされ、私立大学もセンター試験の結果を合否判定に利用できるようになりました。ただし、評価方法は各大学に委ねられています。
この方式は2020年度まで、受験科目の変更がなされながらも30年間続けられてきました。

しかし、それを廃止して、2021年度から「大学入学共通テスト」に変えられることになったのです。なぜなのでしょうか?

いくつか理由はあるようですが、1つにはセンター試験が年に1度だけの1発勝負であるということです。しかも1月中旬という寒い時季で体調を崩しやすいこと、北国や日本海側では大雪によって交通に支障が出ることもあり、受験生の不安を増していることも問題でした。
2つ目には、センター試験はマークシート方式なので、受験生の思考過程が分からないこと、英語では読む力・聞く力はある程度分かるのですが会話力や英語での自己表現力は評価できないことが挙げられていました。
そこで、高校在学中に複数回の試験を行ない、かつ記述式回答や民間業者のノウハウを導入することで、それらの欠点を補おうとしたわけです。

しかし、人の思考力やコミュニケーション力をテストで公平に評価することができるのでしょうか?
面接で直接会話したり、小論文を書いてもらって、それで評価するのならまだ分かるのですが…。それなら既に推薦入試やAO(アドミッションズ・オフィス)入試で行なわれている方法です。
センター試験で基礎的な学力や応用力を評価し、二次試験で各大学が思考力やコミュニケーション力などを評価するという、これまでの方法が良いように思うのですが…、なぜ変える必要があるのかよく分かりません。
もしかして、国の行政の有力者と民間業者が裏で結託して話を進めているのではないか、という疑いも生じてきます。

一方、少子化の流れの中で各大学が意欲のある優秀な学生を確保するため、AO入試(高校の成績・小論文・面接などで評価する)を行なう大学が増えています。この方法だと、各大学が自由に学生の意欲や能力を評価できるように思います。
しかし、この方式は早期に入学生を確保する手段としても使われているので、合格後の学習意欲の低下を招いているという批判もあり、入学前に独自の教育を行なっている大学も多いようです。

人の持っている学力や潜在的能力を完璧に評価できるテストは無いでしょう。
また、入試の成績がそれほど良くなくても、大学入学後にいろんな人と出会い様々な経験をする中で、人生の目標を見つけ、それに向けて猛勉強したり、新たな活動に邁進する人もいるでしょう。
入試の方法を変えるよりも、入学後の学びが充実したものになるように、大学教育の中身を熟慮し変えていく方が重要ではないかと思います。

さてもう1つ、教育界に起きたショッキングな出来事として、神戸市の小学校での教員間のいじめ問題があります。
ニュースを聞いた時はちょっと耳を疑いましたが、振り返ってみて、『起こり得ることだな』という考えも頭に浮かびました。

教師の多くは、学生時代は勉強やスポーツができた方の生徒であり、学力面でも人間関係の面でも大きな挫折を味わった人は少数です。要するに、学校での成功体験があり、学校が好きな人が多いわけです。
かつて他の生徒をいじめた経験を持つ人もいるでしょう。もちろん、そういう人は少数で、多くは学校でのいじめをなくしたいと正義感に燃えている先生たちなので、決めつけは良くないと思いますが…。
ただ私の経験上「自分は、学生時代は他の生徒をいじめていた」という話しを他の教師から聞いたことがあるので、そういう教員がいるのも事実です。

教師は生徒を管理し、言うことを聞かせなくてはならないという意識を持っています。それは教員間でも働く意識です。
自分の考えが正しいと(あるいは自分は強者だと)思っている教師は多くいます。自分の考えと違う考えを持った人や、こいつは弱い奴だと思った人に対して、『正してやろう』とか『鍛えてやろう』などという思いを持つのです。高慢で受け入れがたい考えですが、それを実行に移しがちなのが、学校という特有の価値観を持つ場所なのだと思います。(学校に限らず、今の日本に潜在的に蔓延している考え方なのかも知れませんが)

生徒同士のいじめが問題視されるようになって久しいですが、今だに有効な対策がとられていません。それは、そういった特有の価値観が昔から受け継がれているからだという見方もできます。
でも、昔は(少なくとも1960年代までは)いじめがこれほど問題視されることはありませんでした。なぜでしょうか?

振り返ってみて昔もいじめはありました。プロレス技をかけたり、小石を投げつけたり、他者の外見をからかったり…、しかし、エスカレートすることはほとんど無く、これ以上続けると相手が耐えられないと想像して途中でやめたり、誰かが止めに入ったりしていました。
また、大人が干渉しない異年齢の子供たちが集まる子供集団があり、その中の統率力のある上級生が集団全体を見て、皆が楽しめるように配慮していた記憶があります。

それが、1970年代頃から変化していきました。
子供の遊び場がどんどん減っていき、異年齢の子供たちが集まって作っていた伝承的な子ども集団が無くなっていった時期です。
同時に、ゲームが普及し、ゲームセンターが次々と作られ、日本の経済発展の中に子供の遊びも組み込まれていった時代とも重なります。
テレビではお笑い番組が増えていきました。人をバカにしたり、叩いたり蹴ったり、恐怖感を与えたり恥ずかしい思いをさせたりして、それを見て笑いを取ろうとするような番組を、いわゆるゴールデンタイム(午後7時~10時)に放映していました。それを子供たちが真似(まね)しないはずがありません。

今回の神戸市での教師間いじめの主犯格の教師は40代で、いじめに加わっていた他の教師は30代とのことでしたから、1970年代から80年代以降に子供時代を過ごしています。その時代は、人間を「明るい人」と「暗い人」に分け、前者は良くて後者は悪いと単純に考える風潮もありました。
そして、人の欠点をあげつらうことも含めて、周囲の笑いをとれる者が強者として集団のボス的存在になる傾向もありました。
そういうことを学んだ人が教師になったり政治家になったりして、人に指示や命令を出せる立場に立つと、人間の尊厳を無視した残酷なことをしてしまうのかも知れません。(あくまでも想像ですが…)

子供時代に何を学ぶかは、とても重要だと思います。
かつての賢いリーダーがいた子供集団が無くなった現在、子供集団というとゲーム仲間かスポーツ少年団になるのかも知れません。
ゲームは1人でもでき、かつ依存性があることが分かっているので、問題視されています(一方で、eスポーツが普及したりもしていますが…)。
スポーツは個人でするものチームでするもの、いろいろとありますが、他者と競い合い勝つことを目標とするという点では共通したものがあります。勝つと喜びが得られ、負けると悔しさや後悔を感じます。また、集団内の上下関係がはっきりしており、リーダーや先輩の言うことには基本的に従わなくてはなりません。そのルールに従わないと、何らかの制裁を受けることになります。

こういった環境で子供時代を過ごすと、どのような価値観を持ち、どういった考え方をしがちになるのでしょうか?
強い者が正義、弱い者に発言権はない。勉強やスポーツができる、ゲームが得意、笑いをとれるなど、何かに秀でていると、人間的にも優れていると見なされる、といったことでしょうか?

私もまだよく分かりませんが、社会環境の大きな変化の中で、価値観や人の存在をどう見るかといった思考も大きく変化していると感じています。
それが、まず子供たちに現象として表れ、大人社会も変わってきているのではないかと考えています。


ストレスの多い現代社会の中では、悩みを語り合う場所や時間が持てないで、1人で悩んでいる人が多くなりました。悩みや生き辛さは多くの方々が抱えておられることでしょう。
自分の悩みを誰かに相談したり、カウンセリングを受けたり、自助グループに参加したりする事は、決して恥ずかしい事ではなく、むしろ必要で、問題解決への近道である場合が多いのです。
また、今の自分に変化を与えて、より良い人生、活き活きとした人生を歩むためにも、カウンセリングや自助グループは有効です。

このホームページには、「カウンセリング」および「セラピー」の説明、「カウンセリングの内容」の紹介、「自助グループ」のご案内などが載せてありますので、カウンセリングや自助グループについて全く知らない方でも、概略についてはご理解いただけると思います。
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